上江洲フミとはどんな人だったか。
戦前なら「辻(つじ)でも珍しい古典舞踊の名手」「演説カマデー」
戦後では「三人の母親に仕えた孝女」「辻を現代風の観光料亭につくりあげた実業家」
総じて「沖縄の女傑」などと言われております。
しかし、これらはいずれも彼女の一面を語っているにすぎない。
彼女は人に接するときは誰にでも常にニコニコして愛嬌がありました。
むつかしい話し合いのときでもテーファー話(ジョーク)や失敗談などを折り混ぜながらユーモアたっぷりに進めるので、居合わせた人々もつい心を和ませてしまう。話術にも豊かな包容力が伝わってくる女性でした。
それは辻で身に着けた社交性や躾(しつけ)が自身となって生まれたものなのか、辛酸な生い立ちが生み出したものなのか、トートーメー(沖縄の先祖供養)からキリスト教まで含めた厚い信仰心によるものなのか、おそらくその全部であろう。
ともかくフミの八十年の生涯は、琉球古典芸能、琉球料理、マナーなど、往年の辻文化を栄養に沖縄を生きぬき、沖縄女性のやさしさと強さを体現し、波瀾とロマンに彩られた一生であったといえよう。
「ウンチョー、ジンブンヌイチベー、マチクディルメンセータシガ」